俺のインターネットが欠けた日

もやもやする気持ちをまとめるために日記を書きます。ブログなんてそんなもんです。

いきなりの訃報から早半月。悲哀の底から幾分か距離を置くことができていて、空き時間を見つけては故人の思い出をまとめている。死んだ人に向ける気持ちとして相応しくないのは百も承知だけど、今の気持ちは「ふざけんな阿呆」という感じです。次の飲み会楽しみにしてたんですよ。 30余年も生きてるので友人・知人が亡くなることもあったけど今回の訃報はちょっと堪えた。そのひとが居ない人生ってのがあんまり想像できない場合、こういう気持ちが湧き上がるのだと思う。

俺がTwitterを始めたのは2007年10月。当時のTwitterは全体が知り合いみたいなもので、直接つながっていなくても「あー、あの人か」って感じで話が通じた。はてなグループTwitter部で仲間を探して適当に繋がるようなゆるいコミュニティがあり、コミュニティ間もゆるくつながっていた。故人とはどこでお互いフォローしあったのかさっぱりわかんないけど、はてなグループか共通の知り合い経由でフォローした気がする。

直接会ったのは2014年で、ちゃっぴーが「地図好き」という雑な共通点からFacebookでつないでくれたことが切っ掛け。勝手に会社に招き、来客用会議室で会社について説明して「この会社は止めておいた方が良い」という話をした。カーペットの柄に興奮していたのを覚えてるんだけどどんな柄だったかさっぱり覚えてない。今度前職のオフィスに行く機会があったら見ておこう。

一度直接会ってからはちょこちょこ会ってた。彼女が就職活動で東京に来て、ギークハウス護国寺のリビングに泊まってたこともあった。リクルートスーツで駄目な飲み方をして、結果リビングで雑魚寝してたなあ。就職活動も終わり社会人になった後、同じ業界でつながっていたので会社のイベントで会ったり、G空間サミット行ったり、地図バーで遊んだりもした。 二人で酒を飲むと赤裸々に色々話してくれるのだけど、そのまま突っ走るとヤバそうなものも多かったから止めたことも多々。でも何か頑固な面があって、こと恋愛関連は全然人の言うことを聞かなかったな、と思う。

ダイヤルQ2でインターネットに触れてから20年、自分のPCでネットを徘徊するようになって15年、Twitterを始めてから10年あまり。Twitter経由で出会った人は仲の良い友人か、それ以上の何かになっているんだなと。あの世とも繋がるSNSがあれば良いのだけど、それはそれで「人とは」みたいな話になるんだろうな。こういう感じの毒にも薬にもならない馬鹿話をする相手がいなくなったのは悲しい。

あー、あびこと雑な話するの好きだったんだよなー。アルバムちゃんと作って、あいつが嫌がる感じに盛り上がってやろう。


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